5月中旬の緑の眩しい季節に

柊木の若葉 視覚的なデザインをする仕事が、いつの間にか大半の時間をプログラムづくりに当てている現状。 どちらも楽しいからいいんですけど、大した資格も持ってない私のような人間は広く色々やろうとしないと生きてけないです。おかげさまで一つの事案は了承得てお金になりそうなので、仕上げに奮闘中。全くもって不安定に変わりありませんがw 最近テレビを一切見ないのですが、ネットで文字のニュース見てると、それすら見る気にならなくなりそうな記事レベルで嫌になります。 機械的に事象の事実のみを伝えてくれる仕組みってどこにあるんでしょうね。 まあNHKの定時のニュースだけ切り取れば比較的それに近くはなりますが。それでも日本国の公共放送ですから完全に外から見れば、少なからず違和感は残るでしょう。 人がどう思っているかを知るのはタイセツなことですけれども、個人レベルから国家レベルの考え方・思惑や意見と、ありのままの事実を伝えることが、わずかでも混ざってしまうと、自身でそれを分離して判断するのがとても難しくなります。 日本で日本のマスメディアの発信するニュースを見ている時点で日本国の価値観の上にあるものを読み取ってしまうし、それは海外も同じ。 マスメディアの植え付けという面でのつながりで最近顕著で引っかかるのが、日本人のアジア隣国の人民に対する視線。「まあ中国だから」とか「韓国だから」という、あの高圧的な感が気になって仕方ないです。中国や韓国よりも日本が全面的ないし圧倒的に優れた国とでも思ってるのかしら。もしくはその反対を感じての逆上的態度なのか。 動かすことの出来ない価値のある文化・歴史や希少な自然物を守るという意味でこの国のそれらに対する姿勢に価値を見いだせれば、そのための安定は望みますけれども、もし今の日本人が真にそんな自尊した人間ばかりなら、この国にいる人間のための安定を私は一切望まないでしょう。 と、ダラダラ燻っている思考を切り替えるために書き出しました。 さて。 ここ数日でプーランクの曲を幾つか聴いているのですが、初めて聴いたピアノと管弦楽のための曲2つ、2台ピアノのための協奏曲と通常のピアノ協奏曲、それぞれ気に入って仕事中リピート再生。 特にピアノ協奏曲の方は、ドビュッシーのピアノと管弦楽のための協奏曲?コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲?スクリャービンのピアノ協奏曲?といった感じの新鮮なフレーズが所々に感じられる曲でとても良いです。 ずっと聴いていると1楽章の旋律が頭の中で繰り返されます。 他、色々ピアノ曲を聴いていると、強烈なものも結構多くて、うーん、と思ってしまうのもあるんですけれどもね。この違いは何なんだろうというくらいに、曲によって雰囲気に幅があります。 プーランク ピアノ協奏曲